偶然の学校

永遠に謎な私はきっと無敵だ

 

「私は、私自身にとっても他人にとっても、永遠に謎でありつづけたい」この言葉を残したのはルートヴィヒII世、ドイツ覇権争いの時代に資産を軍備ではなく芸術につぎ込み「狂王」と呼ばれた王様だ。そんな人の言葉だけど、これを見つけた時、私は不思議と心が軽くなった。というのも、ほとほと自分探しというものに疲れ切っていて、特にここ2年は就活と社会人一年目を経験し、嫌という程自分について考えさせられていたからだ。

最近、静岡の実家でアルバムを見る機会があった。そこにはかつて“無敵”だった私がいた。記憶がかすかにある幼稚園生、私にとって怖いものは「おばけ」と「おかあさん」だけだった。幼いたくさんの私は意外と無表情が多い、けれど時々見かける笑っている写真は心から楽しそうだった。無敵な私は自分が何者で、何ができて何が足りていないのか、人にどうみられているか、そんなことは考えていなかった、と思う。ただ、自分の周りの事柄に目を向けていた。ハマっていたのは泥作り。ゴールは触って手触りを楽しむ、それだけ。こだわりはとにかく細かい砂だけを集めることで、トランポリンの上に砂を乗せて跳ねてみたり、滑り台から流してみたり、試行錯誤した。上手くできた泥を自慢することもなく、褒められもせず、ただ自分の快感のためだけにせっせと泥を作っていた私は無敵だった。

自分を取り巻く外側の世界に夢中だった。

無敵を感じた5歳の写真 

しかし、そんな私もいつしか年齢を重ねるうちに自分の内側と向き合うことにやっきになっている。私が思う「私」と、他人が思う「私」、他人にこうみられているかもしれない、と思う「私」は、全部違ってどれが本物かもわからない。意志がなくつまらない人間だとバレてしまうのが怖くて、不安でいっぱいだ。  

あんなに無敵だった自分はいつからこんなに自分を意識するようになったのだろう。初めて自分を意識したのは春から小学生になる、という時だったと思う。このタイミングで長い髪がバッサリ短くなった私は「これからは、かわいいものをかわいいと言ってはいけないなぁ」と思った。可愛いものを可愛がっていいのは”女の子”だけだと思っていて、髪が短くなった私はそれに当てはまらないと思ったのだと思う。それからはクラスでの立ち位置とか、役割を踏まえた上で言っていいこと悪いこと、知ってはいけないこと、知っていても知らないフリをしなければならないことを判断して、それぞれのコミュニティでそれぞれの自分を確立した。それはいつのまにか無意識の技になっていた。

こんな風にして、楽しいから笑っているのか、楽しむために笑っているのかさえわからなくなることもあるけれど、成長してからも運の良いことに周りを気にせず我を忘れるほど夢中になれるものがあった。それはあるイギリスのバンドと俳優さんだ。彼らの作品は片っ端から漁り、ライブや舞台があればバイトで貯めたお金で海外まで追っかけに行った。気づけば夜中のロンドンで1人出待ちをしていた私は確かに無敵だった。泥づくりをしていた頃の自分と同じく、自分にできるかできないか、周りの人はどう思うか、などの問答はなくて、行く、観たい、それだけしかなかった。

ルートヴィヒII世の話に戻ると、彼は確かに王様として、1つの国のリーダーとしては成功できなかったかもしれない。でもシンデレラ城のモデルとして有名なノイシュヴァンシュタイン城を建設し、パトロンとしてワーグナーに数々の作品を作らせた。自分のことを理解していなくてもやり遂げたことはある。これは想像だが、ルートヴィヒII世自身、一国を背負う王であるが故、他の人以上に自分が何者なのかを嫌というほど考えたと思う。自分は務めが果たせるのか?素質があるのか?そんな苦悩が透けてみえるからこそ、「私は、私自身にとっても他人にとっても、永遠に謎でありつづけたい」という言葉にはより一層惹きつけられるものがある。

ルートヴィヒII 

まだまだ人生は続きそうだし嫌でも自分とは付き合っていかなければいけないので、これからは自分への決めつけや自分に対する関心はそこそこに、外の世界に感覚を研ぎ澄ませて生きていきたいなと思う永遠に謎な私はきっと無敵だ。

 

筆者プロフィール

偶然の学校2期生秋田真鈴
社会人2年目、O型、天秤座、(月星座)射手座、霊王星人土星マイナス、運命数9、五黄土星。占いが好きです。ギターは弾けません。