直感も選択のうち
わたしは4年前、フラメンコを始めた。
なんで、フラメンコ?とよく聞かれる。
きっかけは、大学へ入学したての頃。
何か新しいことを始めて、大学生活を充実させたいと思っていた。
大学といえば、サークルだ。私は、新歓(新入生歓迎)で配られた部活・サークルのチラシとにらめっこをして、ときめくものを探していた。
フラメンコを選んだ決め手は直感だった。部員の雰囲気や、先生の踊りの上手さなど、「なんかいいな!やってみたい!」と。
いま思えば、直感だったけれど、これもまた選択だったのかなと感じている。
フラメンコづけの大学生活
私はフラメンコにどハマりした。
踊りや歴史が奥深く、真剣にやればやるほど分からなくなるという、なんとも不思議なジャンルだったからだ。
フラメンコには、アイレ(雰囲気)が重要だ。
生きる喜びや人生の苦しみ、悲しみなどを思い切り表現することが、フラメンコなのだ。
これが「フラメンコ=情熱的」とも言われる理由のひとつなのだろう。
今の時代、SNSで誰もが簡単に顔を合わせずコミュニケーションが取れるため、感情を表に出すことが少なくなっていると感じる。実際、私もSNSに頼ってしまうことが多く、友達との直接的な喧嘩はなるべく避けたり、他人に対して無関心だったりすることもある。
だが、フラメンコは感情の塊だ。
しかもそれを表現する必要があるのだ。
よく、踊っていると別人みたいと言われるが、メイクのせいだけじゃない。
普段の私に欠けている、感情の表現部分のギャップがそこにあるのではないかと思う。
感情を出すことが、怖い人もいるだろう。
だが、感情的になるからこそ生まれる絆や感動があり、生きていることを実感できるのだと思う。私はフラメンコを通してそれを実感した。
フラメンコ部は、大学間の交流が多く、私は14大学が加盟する「全国学生フラメンコ連盟」の会長を務めていた。
今年で25周年を迎える連盟には名物行事があり、毎年、千葉県館山市で5泊6日の合宿を行っている。全国大学フラメンコフェスティバルを始め、敬老ライブやイオンタウンショー、小学校への出前フラメンコなど館山市の至る所でフラメンコを踊るのだ。
フラメンコを通してこうした地域活性化やボランティアにも携わることができたのは、とても貴重な経験だった。特に印象的だった出来事が、敬老ライブであるおばあさんが涙を流して喜んでくれたことだ。踊ることが誰かの元気に繋がっていると実感した。子供からお年寄りまで多くの人達がフラメンコを楽しむ姿を見て、もっと多くの人にフラメンコを見て、知って、感じてほしいと思った。だからこそ、卒業後もまずはフラメンコを継続していくこと、そしてこれからは卒業生として連盟を応援していくことで、少しでもフラメンコ界の支えになりたい。
好きが高じてスペインへ
ここまでハマると、スペインへ行ってみたくなった。
昨年、2週間ほどフラメンコ留学のためスペインのグラナダを訪れた。
行ってみてやはり痛感したのは、
「日本人のフラメンコ」と「スペイン人のフラメンコ」は全然違う、
ということだ。スペイン人のリズム感や表現の仕方など、勉強になることが山ほどあった。現地で、自分の肌で、感じるフラメンコは鳥肌ものだった。
技術や表現方法はもちろんだが、本場のフラメンコが教えてくれた一番の学びは、“気楽さ”だった。
スペインに来て最初、私はレッスン前に自主練をしたり、授業を多く取ったり、と他の生徒と比べて真面目だった。
しかし、フラメンコスクールの人たちは、みんないい意味で気楽だった。レッスン前に一杯お酒を酌み交わして「お酒飲んだほうがいい踊りができるの!」と言っていたり、夜な夜な公園でフラメンコを踊り始めたり。
スキルアップのため真面目な練習はもちろん大事なことだが、フラメンコはもっと自由でいいのだとスペインに来て知った。
日本人としてまじめさは誇りである。しかし同時に、進学や就職など一般的なレールを歩み、決められた枠内で物事を考えるようになっていた私にとっては、もっと楽にしなよと言われたようで、心が軽くなった。そしてその方が何倍も物事を楽しむことができた。
“気楽さ”は生きるコツ
フラメンコは”気楽さ”を教えてくれた。
これは私にとってよりどころとなる考え方である。
性格的にどうしても型にはめて考えてしまうことが多い私にとって、生きやすさのコツを教えてくれたのだ。
私は4月から社会人になる。会社に決められたルールに疑問を感じたり、様々な壁にぶつかることも多いだろう。そんな時は、この“気楽さ”を持つことで、心に少しゆとりが生まれ、自分らしく前に進めるんじゃないかと思う。
私にとってフラメンコは、自分の心を解放し、人生をより楽しく豊かに彩ってくれる存在なのだ。