時には患者として病に倒れ、時には事件に巻き込まれ…様々な作品の中で命を落としたり、大切な人の死と向き合っては、涙を流してきたけれど…これは想像でしかなかったんだと突きつけられる経験をしました。
あ、改めましてこんにちは。普段役者をしています、小林涼子と申します。
何事も「本物の経験」には勝てない
突然の私事で恐縮ですが…先日祖父が亡くなりました。目の前で近しい人が亡くなったのは人生初めてで、ものすごく悲しいはずなのに、ドラマで見るような号泣や、「おじぃぃちゃーーーんー!!」という、ドラマティックな反応はできませんでした。それどころか、家族は無言で祖父の顔や手を撫で、目を潤ませながら微笑んでいたのです。
それまで、こういう場面では例え大往生だとしても、人が亡くなるのは絶対的に悲しいんだから悲しい顔で泣くものだ…と思っていたので、初めて生まれる自分の生々しい感情に戸惑ってしまう私がいました。お葬式の席ですら、目がじんわり赤くなるものの誰も大きく泣くことはありませんでした。
だからと言って、仲が悪いのではありません。
むしろ小林家は年に2回以上旅行へ行き、何かなくても集まっては皆でケーキを食べる程とても仲が良く、両親も私達孫も祖父を尊敬し、大好きでした。
大好きだからこそ、なのかもしれません。
もう目を覚まさない祖父の顔を見つめると、もちろん胸の奥が掴まれたような苦しさはあるのですが、長く患っていた祖父の戦いがようやく終われたねと、そんな救われたような気持ちになるのです。
その都度、真剣に素直にお芝居してきたつもりだったけれど、こんなお芝居をしたことはありませんでした。
やはり、「カット!」の声で亡くなった役の人が、ムクリと起き上がるような撮影現場と本物の経験はこうも違ったのです。
経験は財産
幼い頃から祖父と父は、沢山旅行に連れ出してくれ、様々な体験をさせてくれました。
「聞いてるだけだとわからないけど、やってみりゃわかるから」と…気球や馬、人力車に乗り、スキー、スケート、ソーセージ作り!陶芸、吹きガラス、ステンドグラスにとんぼ玉、季節になれば果物狩り、公園では水車、遊園地はパンダの乗り物…!
とにかく、ありとあらゆるものを試してみました。
ものすごく好きなものも、 そうでないものもあったけれど、経験していなかったら、きっとそれすらわからなかったのでしょう。
そしてその度、自分に合うか合わないか、指標が徐々に出来てきて、今では自分の好きなものが明確にわかります。
また、色んな経験を積むことで、面白い事を常日頃探せる好奇心まで育ててくれたのだと思います。
時には机で学ぶ勉強よりも…!と、連れて行ってくれた体験学習、子供の頃は何も考えていなかったけれど…与えてもらった経験は、全て私の血となり肉となり、私を作る全てになりました。
まだ知らない何かとの出会い
大人と呼ばれる年齢になると、卒業もなく働いて休んで、同じような毎日が繰り返しやってきます。
学校の基礎科目のように強制的に学ばされることもなく、好きなものだけを食べ生きて行くことも出来ます。
経験を積んだが故に、凝り固まってはないでしょうか?
今、興味がないと思っている事が、もしかしたら人生で一番面白い事かも知れない。
まだ出会っていない誰かと恋に落ちるかも知れない。
そんな可能性は、幼い頃と変わらずまだ残っているのです。
しかも、子供の頃と違うのは、やってみて嫌なら強制されず、すぐやめればいいのです。
始めるのも自分、辞めるのも自分。
「興味のないもの」と一括りにせず、出会い、経験し続ける人生でありたい。
祖父との時間から、そんな風に思う今日この頃です。