やりたいことがわからない、という人が増えた気がする。それは、自分のなかに生まれかけた「志向の芽」を、いつしか摘んで見ないようしたり、無意識に閉じ込めてしまったからではないだろうか。
もしくは、やりたいことが本当はあるのに、いや、やりたいことが本気だからこそ、失敗するかもしれないという不安が生まれ、傷つきたくないという怖さが、そう思わせてしまうのかもしれない。
わたしは九州、宮崎に生まれた。
父はいわゆる九州男児というか、とても気性の激しい、断固として人に有無を言わせないところがあった。幼かったわたしは、ただ父の言うとおり習い事へ行き、部活を諦めるしかなかった。ときおり手をあげる父に刃向えるはずもなく、自分の中に芽生えた様々な感情も、欲求も、次第に抑え込むようになった。
しかし、そんなわたしも大人になり、大学を卒業して就職するか、夢を追って就職しないか迷うことになる。だが、わたしは父の呪縛から逃れることができず、会社員としての道を選ぶこととなる。
本心とは違う、自分の意思に嘘をついた選択。当時は、感情さえ自分でコントロールする技術を身につけてしまったことに、まだ気づいていなかった。
そしてそれは、形を変えて現れることになる。
最初は身体に出た。それまでまったくの健康体だったのに、どこもかしこも肌が異様に乾燥した。忌々しく恥じる過去だが、どのシャンプーに変えても頭皮から白い粉が消えなかった。これは当時二十代前半の女としてはかなり堪えた。
あとから判ったことだが、ストレスによって神経が緊張しつづけると血管が収縮し、皮膚へ栄養が届きづらくなるらしい。そのため新陳代謝が乱れ、頭皮の再生に支障をきたしたのだった。
異変はこれに留まらず、後天性のアトピーにもなった。それは営業職だった私にとって、本当に地獄のような苦しみだった。四六時中つきまとう痒み。ストッキングを履かないという選択を許されないOL生活で、掻きむしって膿んでゆく肌。疾患は全身に広がり、ストッキングを脱ぐとき患部がベロリと剥がれた。とうとう人前に出るのに化粧するのもままならないほどの肌質になってしまい、わたしの気分は落ちていった。
ステロイドを手放せない日々。痒みも相まってか眠れない夜が続き、次第に朝、起きれなくなった。会社にも遅刻しがちになり、上司や同期の目を気にして益々わたしは萎縮した。軽度の鬱、だったのだと思う。
そんなある日、ひさしぶりに舞台を観にいった。
大学時代、芝居をやりたくて演劇サークルに入っていたわたしは、学生の頃たくさんの舞台を観ていた。けれども、会社員になり忙殺されるにしたがい、観劇本数は激減した。ひさびさに足を運んだ下北沢の小劇場で、わたしは席に着いた。開演前。客電がついており、舞台はまだ暗い。ふと客席から思った。
「わたしはもう、あそこには立てないんだな。」
そう思った瞬間、両の眼から大粒の涙が溢れ出した。もちろん芝居はまだ始まってなどいない。なのに。わたしは泣いていた。
芝居への未練があるのは明らかだった。わたしは自分の気持ちに蓋をして、見ないようにして、誰かから望まれる自分でいようとした。そうした結果、身体は嘘をつき通せなくなっていた。まだ明るいままの客席で、わたしは奥底に眠らせていたはずの本心に気づかざるをえなかった。
自分に嘘をついていると自覚してからも、なお嘘をつきつづけるのは辛いものである。次第に会社員としての仕事に身が入らなくなった。そしてわたしは、見切り発車で会社を辞めた。
もちろん辞めるのにもものすごい勇気がいった。環境を変えることは怖い。現状維持の方が楽なことさえある。失うものも多すぎる。会社員という肩書き。定期的に入ってくると保証された給料。これからどうなるとも先は見えない。あてなどなかった。
けれど、死人のような顔をして仕事していても、芝居のことが頭を離れず、自分は何をやっているのか、こんなことをするために生まれてきたんじゃない、と会社のパソコンを怒り泣きながら打っていた日々を今でも思い出す。
あの日、自分の本心に気づいていなかったら。わたしは今こうして俳優をやっていただろうか。それとも、まだ死人みたいな顔をしてOLを続けていたのだろうか。それでも、その抑圧はいつか、爆発したのではないだろうか。
わたしの死んだ心に魂をブチ込んでくれたのは、自分に諦めようと言い聞かせたはずの夢だった。
俳優という道を選んだことによって、安定した生活とはかけ離れた生き方になってしまった。けれど、あの頃の自分より、いまのわたしの方が、わたしは好きだと言えるだろう。
自分に嘘をつかないで生きた方が、心身ともに健やかで、穏やかで、まわりを尊重することができる。いまでも幼いころの呪縛はたまに顔を出すけれど、最近は自分の選択に自覚的になった。
本当にやりたいことをやるなかでの苦労は、前に進むための過程だから納得できる。立ちはだかる困難よりも、それを乗り越えるわくわくの方が上回るから、人生を自分の手で掴みとることができるのだ。
こんな生き方でも、いまなら、空の上から父も許してくれているような気がしているから、後悔はしていない。