偶然の学校

「ワクワクさんと。」


「ワクワクする」という言葉が好きだ。

かつてNHK教育テレビで放送されていた、「つくってあそぼ」という番組に出てくる「ワクワクさん」という人物のおかげで、物心ついた時にはもう、「ワクワク」という言葉を知っていた気がする。
人生が変わってしまうのではないか、という程の衝撃は、いつも必ず「ワクワク」と共にあった。
その衝撃が、私を今日まで押し進めてきてくれた。

「ワクワクする」
・・・この後に起きるかもしれないことを想像して、心踊り、そして駆り立てられるような、居ても立っても居られない感覚(※あくまで個人の意見です)。
感情ありきで、そして時間的な奥行きを感じさせるところが非常にいい。

「ワクワク」に関して私にとって記念すべき初経験は、谷崎潤一郎の言わずと知れた名著「陰翳礼讃」を読んだ中学生の時だ。
伝統芸能を始め、建築様式や日用品にいたるまで、日本ならではの感性について、谷崎の視点から論じられている。直接感覚に響くような艶やかな日本語で、こうも官能的に文章として表現することができるのかと思った。器に盛られた白米の愛で方等、その感性を授かったような気持ちがした。今までなんとなく目の前に現れていた森羅万象すべてが生まれ変わったかのように輝いて思えた。

その後私は演劇に出会った。
高校生の時に、劇団☆新感線の「蛮幽鬼」(2010)を観たのが始まりだった。煙の滝の中に、「蛮幽鬼」と大きくタイトルが出た瞬間、訳も分からず涙が出た。全てが目の前で起きているという事も信じられなかった。観終わって、居ても立ってもいられなかった。夜が眠れなくなった。
そして大学生活のほとんどの時間を、演劇に触れるために使った。
もっとたくさん演劇について知りたいと思って、大学生の時に一年間休学して、イギリスの大学へ留学した。


演劇サークルにいた時。本番前などは泊まり込みでした。
どこに私がいるかわかりますか・・・?笑

そこで私は同じフラットメイトのT君と出会った。
T君はタイのバンコク出身で、バンコクでは知らない人がいない程の大金持ち一家(本人談)の長男で、裁判官になるために大学院へ留学していた。
我々は同じフラットだった事もあり、とても親しくなった。

私は彼に友人として非常に興味を持った。
彼は私よりも2つ年上だったが、お皿の洗い方を知らなかったし、肉や野菜の調理の仕方も知らなかった。
そして彼は、今まで生まれてきて一度も「ワクワクしたことがない」と言った。
なぜ?と聞いたところ、「なんでも持っている。これからも欲しいものは手に入る、だからだよ。」と言った。
そして映画や漫画等を見たり読んだりして涙を流した事は一度もないし、何か心が動いたり、突き動かされるような経験はなく、これからも無いだろう、と言った。

そういう人生もあるのかもしれない、とその瞬間はそう思う事にした。
同時に、彼に対して「ワクワクしないのはおかしいよ」等と言い返す義理も動機も私にはなかった。

しかし納得行かなかった。なにか絶対に違う気がした。
ただそれが言葉にできない。
「ワクワクしなきゃいけない」とは思わない。ただ、「ワクワクしない」というのはもったいない。

えっとまって、『ワクワク』ってなんだっけ・・・?

大学では演劇の評論の授業を取っていました。

悩んでいる間に私は帰国してしまい、T君とはそれきり「ワクワク」談義をする事はできなかった。
帰国して間も無く、就職活動が始まった。
一体どういうつもりで社会に出ようか、と考え始めた時に、私の中で一旦ひとつの考えがまとまってきた。
「ワクワクする」というのは、自分の未来が少しでも変わるかもしれないという事への高揚だ。
(言ってみれば、すごく当たり前のことだ。)

一方で、自分の未来の変化に期待を持てるというのは、意外と難しい事だ。
変わるのは面倒くさい。現状維持が一番体力も使わなくていい。
しかし、私は明日が、今日とまったく違う日に変わってしまっても構わない。
面倒くさいけれど、面白いかもしれないと思った事には首を突っ込んでいきたい。
私は、私を楽しませるために、生きていきたい。

話は戻るが、「ワクワクさん」が最近YouTuberとして戻ってきてくれた。私はとても嬉しい気持ちだ。
また子ども達にワクワクを届けてくれる「ワクワクさん」を見習って、
私も「ワクワク」を誰かに届けることができるようになりたいな、と烏滸がましいかな思っている。

筆者プロフィール

「偶然の学校」3期生白井愛弓
お芝居が好き。
シナモン文鳥と暮らしています。
カレーとパウンドケーキを作るのが趣味。
最近はボードゲームと脱出ゲームに熱中しています。

テレビ局勤務。修行中