偶然の学校

「生きづらさごと、「私」として生きていく」

私って、おかしいのかも

「本当にマイペースだよね、、」

過去にも何人かに言われたことがあったこの言葉、それまではピンと来たことがなかったのに、そのときはなぜか突然、頭を殴られたような衝撃が走った。

私は、自分ではマイペースだなんて思ったことは一度もなかった。どんくさいという自覚こそあれど、どちらかと言えば必死に人のペースに合わせて生きてきたつもりだった。

だから、過去に同様のことを言われたときも、「この人私のこと分かってないな」「どんくさいってだけなのに」とムッとしていたくらいだった。

ただ、そのときはおそらく、

言ってきた相手が私のことをよく分かっている(と私が思っている)人であったということ、

地方に住んでいるその人の元に私がちょうど旅行で遊びに来ており、帰るための船の時間を意識して過ごしているつもりだったのに時間がギリギリになってしまい、その人が港まで急いで車で送ってくれて、「急がせてしまって申し訳ない」と反省していたタイミングで言われたからだろうか。

無事に船に乗り込んでからもずっと、「マイペース」という言葉が頭から離れなかった。

冷静に思い返してみると、「船の時間があるからそろそろ出発しないと」、と言われて私もそのつもりでいたはずなのに、「あ、あのお店にだけもう一度寄りたい」「これ買おうかなあどうしよう」「あともう少しだけ」など、目に飛び込んできたものにその都度意識が奪われているうちに、気づけば本当に出発時間ギリギリになっていたのだった。

たしかにその人からすると、「送ろうとしてあげているのになんてのんびりしているんだ、マイペースにもほどがある」と思って当然だ。

私は深く落ち込んだ。何より、意識的にのんびりしているわけではないのに、結果的に迷惑をかけているということがつらかった。

そして、マイペースなつもりがないのにマイペースなんて、私はおかしいのだろうか?とあれこれ調べ始め、すぐにある言葉にたどり着いた。

“ADHD(Attention-Deficit/Hyperactivity Disorder、注意欠陥/多動性障害)”だった。

私を生きづらくさせていたもの

近年テレビでも特集が組まれたり書籍・漫画なども出版されて話題になる機会も多くなったように感じるが、ADHDとは「不注意・多動性・衝動性」などの症状を特徴とする発達障害である。

言葉自体は知っていたのだが、「ADHD=多動で、小学生の頃、授業中にじっと座っていられなかった男の子のような感じ」というイメージを持っており、むしろどんくさい私は当てはまらないと思っていた。

ただ、調べていくと、女性は多動の症状が目立たなく大人になるまでADHDだと診断されない人も多いということ、「大人のADHD」で周りから理解を得られず苦しんでいる人がいること、などが分かった上に、主な大人のADHDの症状を見ていくと大半が私に当てはまっていた。

つまらない・分からないと感じるとすぐに気がそれたり眠くなる、飽きっぽく、身近な人を大事にし続けたりマメに連絡を取ることが苦手、衝動的な発言をして周囲を驚かせたり傷つけたりしてしまう、時間の見積りが甘く、いつもギリギリ、遅刻を繰り返す、集中力がなくすぐにパッと目に飛び込んできた別のことを始めてしまったり、集中し始めると今度は時間を忘れて取り組んでしまう、忘れ物が多い、やらなければならないことを先延ばしにする、頭の中も周辺も常に散らかっている…。

その瞬間、過去の様々な出来事が走馬灯のように頭を駆け巡った。

小学校の頃、ふつうにしているつもりなのに「ぼーっとしている」「のんびりしている」「優柔不断」と言われ、男子に「大トロ」と呼ばれてよくいじめられていたこと。

中学の頃、真面目にしているつもりなのに授業や部活で「やる気がない」と怒られたこと。居眠りがひどく、頑張って起きていようとしてもだめで、授業参観日でもひとり爆睡してしまい後から母親に泣かれたこと。

突発的にキツい言葉を言ってしまうことが時々あり、何人かの友達と疎遠になったこと。

高校の頃、どうしても気が乗らず美術の授業課題を締切から2週間過ぎるまで提出ができなかったり、所属していた美術部でも作品作りが全然進まず、周りよりだいぶ遅れてやっと仕上げたときに、コーチに「やる気がないんじゃなくて、松見さんには松見さんのペースがあるんだね。」と言われてどういうことだろうと思ったこと…。

まだまだあるが、大学になってからも社会に出てからも、様々な面で誤解されたり、怒られたりしてきた。子どもの頃から治らないどころか、症状が悪化しているように思われるものも多かった。

その度に私は落ち込み、なんで私はこうなってしまうんだろう、ふつうにできないんだろう?と自己嫌悪に陥ってきた。

ずっと生きづらかったのは、ADHDだったからなのか…。

生きづらさとどう付き合うか

私は原因が分かったことに安堵しつつも、どうやって生きていけば良いのか頭を抱えた。

このとき私は初めての転職を控えていたため、転職先でこの性質を悟られたら終わりなのではないか、と恐怖に駆られ、転職後はろくに診ずに薬を処方してくれる病院に薬をもらいに行って飲んだりしていた時期もあったし、気を引き締めて仕事に臨んでいたつもりだったが、結果的には取り繕うことなどできずミスもたくさん犯して「うっかり咲子」などと呼ばれるようになってしまったりもした。でもなんやかんやで在籍中、皆さんには可愛がっていただいた(と信じている)。

その後数年をかけて、少しずつではあるが「もう私はこういう人間なんだ」と、開き直るというかやっと自分を受け入れることができるようになってきた。

私は自分がこんななのに、いや、こんなだからこそ、他人の至らない点に敏感で、「ふつうはこうするはずなのに、なんでそうできないんだろう?」と強い憤りを覚えることが多い。それはどこからきているかというと、同族嫌悪というか「なぜ私は落ち込んだり引け目を感じているのにこの人は堂々としているんだ、許せない!」という思い、つまりは自分のことを認めて受け入れられていないことから生じるものだった。そのことに気づいて、もっと自分にも周りにも優しくなりたい、と思うようになったのだ。

また、今まで何とか周りの「普通」に合わせようと自分なりに頑張ってきたつもりだったが、疲れる割にうまくいかず、正直コスパが悪い。もっと心地よく生きたいと感じるようになってきていた。フリーランスや友人同士でビジネスをしている人など、色々な生き方をしている知り合いが増えてきて、「あ、こういうのもアリなんだ」と気づいたことも大きかった。

今では、例えば「毎朝同じ時間に同じ場所に出社するのが苦手」と感じる自分を受け入れるようになったし、だったら働き方をどう変えれば良いか?と考えるようになった。

改めて検査してもらった病院の結果表にも「社会の暗黙知を察して行動することが苦手」と書かれていたが、まあ傷ついても真っ直ぐにぶつかって生きるしかないかなあ、と思えるようになった。

集中できる条件さえ揃えば、なかなかのパフォーマンスを発揮できるということにも気づけた(それに気づかせてくれたのが、偶然の学校の「毎回一つのテーマで講義後その場で集中してアウトプットを出す」という形式だった)。

もちろん、ADHDだから仕方ないんですと甘えたりはしたくないし、するべきではないと思う。ただ、自分の傾向を受け入れた上で、どう工夫するとうまく付き合っていけるか、という風に考えていけたら良いなと感じている。

できるだけ周りにも自分の傾向を伝えるようにもなった。そうすると、周りにも意外と似たような人がいたり、また違った傾向があったりということに気づくようになった。

自分も周りも、自分の傾向や苦手なことを隠すのではなく、受け入れて開示したり助け合ったりすることで生きていきやすくなると良いな、と思う。

みんな、大なり小なり生きづらいけど、生きづらさも含めて自分なのだから。

筆者プロフィール

「偶然の学校」2期生松見咲子
ビジネスパーソン向けのハーブティーというテーマで起業準備中。
/シンクタンクで経営コンサルタント→ITベンチャーでwebマーケ・ディレクション→フリーランスで新規事業や組織開発などのコンサルティングのお仕事。
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